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大阪高等裁判所 平成3年(う)615号 判決

国籍

韓国(全羅南道務安郡夢灘面沙川里五一〇)

住居

大阪府八尾市西山本町四丁目三番一五号

金融業

安田賀吉こと安允煥

一九二五年四月一〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、大阪地方裁判所が平成三年五月二四日に言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。

検察官 重冨保男出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人豊島時夫作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、原判決は、判示各罪の罰金刑につき、単純に犯行当時の所得税法により算定した脱税額をもとにして同法二三八条二項を適用しているが、同条項は、脱税額が五〇〇万円をこえる場合には、罰金額の上限を脱税の額まで引き上げる旨規定しているのであるから、その起訴となる税額に変更をきたす法律の改正があつたときは、刑法六条にいう刑の変更があつたことになるところ、本件各犯行において秘匿した所得の殆どは株式等の譲渡所得等であつて、本件各犯行後に施行された昭和六三年法律第一〇九号「所得税法等の一部を改正する法律」(以下「改正法」という。)によれば、本件各犯行の脱税額は、原判決が認定した犯行当時の所得税法による脱税額よりも大幅に減少することになり、改正法には所得税法の罰則の適用についての経過規定がないから、本件では同法二三八条二項の適用に当たっては刑法六条を適用すべきであり、この点で原判決には法令適用の誤りがあつて、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

よつて検討するに、本件各犯行で秘匿した所得の殆どが株式等の譲渡所得等であることは記録上明らかであり、改正法によれば、本件各犯行の脱税額は、犯行当時の所得税法による脱税額よりも減少することは、所論のとおりであるが、改正法の附則二条によると、改正法による改正後の所得税法の規定は、昭和六四年(平成元年)分以後の所得税について適用し、昭和六三年分以前の所得税についてはなお従前の例によるとされており、また、改正法により株式等の譲渡所得等の課税について設けられた租税特別措置法三七条の一〇(株式等に係る譲渡所得等の課税の特例)及び三七条の一一(上場株式等に係る譲渡所得等の源泉分離選択課税)の規定も、昭和六四年(平成元年)四月一日以後の取引に関してのものであるから、本件各犯行年分の所得税額の算定は、改正法による改正前の所得税法によることになり、本件では所得税法二三八条二項の適用において所論のいう刑の変更の問題は生じないのであつて、原判決に所論のいうような法令適用の誤りはない。従って、本論旨は理由がない。

控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、本件は株式等の譲渡所得等に関する脱税事犯であつて、前記のとおり本件犯行後に施行の改正法によれば本件の脱税額は少額になること、元来この種所得に対する課税、徴税が不公平であつたこと、被告人は、本業の金融業による所得に関しては殆ど脱税をしておらず、また、昭和六三年から平成二年にかけて株式取引により多額の損失をこうむり、本件脱税にかかる納税及び罰金の納付のためには自宅の土地、建物まで売却しなければならないほど経済的窮状にあること等を考えると、被告人を懲役一年六月・三年間執行猶予及び罰金五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件の脱税額は合計で二億二二〇〇万円を超え、その全体の逋脱率は一〇〇パーセントに達して、本件脱税の規模は決して小さくはないし、その方法も多数の仮名、借名を用いての株式等取引による所得の秘匿でそれほど単純ではなく、また、本件脱税の動機も妻子のために資産を蓄えようとしたもので酌量の余地がないことに徴すると、所論指摘の事情のうち改正法によれば本件の脱税額は少額になるとの点はその立法の経緯に照らして必ずしも酌量すべき事情とはいえないけれども、その他の所論指摘の各事情については被告人のために酌むべき情状として充分斟酌しても、原判決の量刑は、懲役刑及び罰金刑のいずれについても重過ぎて不当であるとは認められない。本論旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することにして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 米田俊昭 裁判官 安原浩)

平成三年(う)第六一五号

控訴趣意書

所得税法違反 被告人 安田賀吉こと安充煥

平成三年八月二六日

右被告人弁護人

弁護士 豊島時夫

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

右被告人にかかる表記事件の控訴趣意は左記のとおりであります。

第一 原判決は刑の量定が重きに失し不当である。

その理由は次のとおりである。

一 本件は株式売買についての脱税事犯である。

一般の事業所得等の脱税についての量刑であれば、脱税額を標準とする限り原判決の判決は妥当である。

しかしながら、株式売買についての脱税は

1 本件犯行後、株式等売買益に対する課税方法、課税標準等が根本的に変更され、新法によると脱税額は極めて少額となること

2 本件犯行時の株式売買等に対する課税は税制及び執行面で極めて不公平であったこと

などから、他の裁判所においては量刑上これを特に考慮し他の脱税事犯より大きくその刑を軽減している。

しかるに原判決の量刑は一般の脱税事犯に対する量刑と同様か、ほとんど同じである。

二 被告人に有利な、刑を軽減すべきその他の事由に対し考慮が不十分である。

1 被告人は貸金業が本業であるが、査察を受けても本業の貸金業の所得については脱税をしていなかった。

大なり小なり脱税が日常茶飯化している現在、一般的に特殊な感覚を持たれている株式売買については脱税しているものの、被告人の一般的納税意識は健在であったというべきである。

2 被告人は本件公訴対象年度である昭和六一年、同六二年度分は株式取引で儲けているものの、その後の同六三年から平成二年までの間に、一〇億余円の損失を生じている。

3 このため納税、銀行借入金の返済、罰金の支払いのためには自宅を売却してその資に充てなければならない窮状にある。

4 被告人は公共の福祉に対する関心が深く、これまで資金のあるときは社団法人倫理宏正会や、NHKなどに多額の寄付をしている。

5 原判決の量刑はこれらの事情を斟酌したものとは思われません。

第二 原判決は判決に影響を及ぼす法令適用の誤りがある。

本件は本件犯行後刑の変更があり、刑法第六条が適用されるべき事犯であるのにこれが適用されていない

第三 以上の次第であるから原判決はこれを破棄し、適正な判決を求めるため控訴に及んだ次第であります。

以上

平成三年(う)第六一五号

控訴趣意補充書

所得税法違反 被告人 安田賀吉こと安充煥

平成三年一〇月二三日

右被告人弁護人

弁護士 豊島時夫

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

控訴趣意書第二記載の法令適用の誤りについて、控訴の趣意を左のとおり補充します。

一 本件事犯当時は、有価証券の譲渡につき、昭和六三年法一〇九号所得税法等の一部を改正する法律による改正前の所得税法(以下「旧所得税法」という)第九条第一項第一一号が適用されていた。

二 ところで、右法一〇九号により、旧所得税法第九条第一項第一一号の規定は廃止され、同時に右法一〇九号により租税特別措置法(以下「措置法」という)第三七条の一一が同六四条四月一日以降適用されることになった。

三 旧所得税法第九条の規定による所得税額より、右措置法第三七条の一一による所得税額が、はるかに少ないことは一審において立証したとおりである。

四 罰金額算定の基礎となる税額の改正も刑法第六条による「刑の変更」に当たることは、判例によって明らかである(大判昭和七年四月一日、集一一、三一八)。

五 脱税額は所得税法第二三八条第二項により罰金刑の上限と定められているから、脱税額は「罰金額算定の基礎となる税額」であるので、脱税額に変更を生ずる法改正も「刑の変更」である。

六 ところで、刑の変更があっても、従前の行為につき旧法による旨の経過規定があるときは、刑の変更があったことにならないことも判例の示すところである。

七 原審において、検察官は右法一〇九号の附則第三条で、旧所得税法九条の規定による所得についてはなお従前の例による旨規定されているから、刑法第六条の問題は生じない旨の見解を示された。

八 しかしながら、右附則第三条は、「所得額」の算定については、なお従前の規定による旨を規定するだけのものであって、弁護人も、所得額については右附則が適用されることに異議はないが、右附則には罰則の適用についての経過規定がない。

九 右法一〇九号により、刑の変更があったのであるから、罰則について旧法の規定を適用するためには、その旨の規定が必要であって、単に所得額の算定について従前の例による旨の規定だけでは足りないのである。

一〇 例えば、昭和四〇年四月一日施行の所得税法では、附則第三五条に(罰則に関する経過規定)と題して「施行日前にした行為及びこの附則の規定によりなお従前の例によることとされる所得税に係る同日以後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。」旨規定されている(右附則の他の条項では、勿論所得の計算等に関し規定されている)。

一一 前記のとおり右法一〇九号は単に所得計算についての経過規定のみを定め、罰則の適用については何らの規定がない。

一二 よって、本件では刑法第六条が適用され、措置法により算定される軽き罰則によるべきものである。

以上

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